レッドカーペットとことこ二宮!

二宮和也さんのオタクが、滾った時に滾った分だけ喋るブログ

『ラーゲリより愛を込めて』感想

目次

  1. 前書き
  2. 映画感想
  3. キャスト陣のお芝居について
  4. 終わりに

 

1.前書き

公開初日、私は合計3回鑑賞させていただきました。

もともと二宮くんのファンであることや、個人的なスケジュールの都合だけでなく、キャスト陣や制作に携わった方々の熱のこもったインタビュー等で期待が高まっていたこともあり、この日に連続鑑賞することに決めたのですが、やはり戦争を題材にした映画。観る側としても相当な覚悟が必要と思われ、同日に3回も観れる精神状態を保てるかどうか、正直不安でした。

 

しかし実際観てみると、1回目より2回目、2回目より3回目と、より深く、優しく、心の隅々まで感動が広がっていくのを実感できました。今こうして感想を書いている間にも、もう一度観たい気持ちがふつふつと湧いてくるくらいです。

 

どうしてこんなにもこの映画に心揺さぶられるのか人に伝えたいと思っても、言葉にする前に感情が大きく膨らみすぎて、涙が溢れてきてしまいます。

 

そのため、この感情を簡潔に伝えようとすると、「泣ける」という言葉しか出てこなくなってしまう自分が歯がゆくて、今回この場をお借りして、自分なりにこの映画と向き合ってみようと思いました。

 

※ここから先はネタバレを多く含みます
鑑賞後でないと伝わらない内容となっておりますので、鑑賞前の方はご注意ください。

そして、自分の気が済むまで記録ついでに書き残したいという思いもあり、かなりの長文になってしまいました…。

未熟な文章で読みにくさもあるかと思いますが、何卒ご容赦ください。

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2.映画感想

まず、この映画を思い出すと1番最初に思い浮かぶのは、主人公・山本幡男さんの笑顔です。そう、ラストの。そして、その笑顔とともに紡がれる言葉。

私はこの言葉こそ、映画の1番伝えたいメッセージに思えました。

 

今、こうして生きていること、いつでも会いたい人に会えること、人として当たり前の日常を送れていることが、どれだけ幸せで尊いことなのか。

 

「よーく覚えておくんだよ。」

 

幡男さんの言葉は、私が目の前にある幸せを忘れかけた時のために、頭に刻み付けておかねばならないと感じました。

きっと、今後の人生の課題にもなってくる気がしています。

 

山本幡男さんの生き方は、決してそう簡単に真似できるものではないでしょう。

『原』が一時そうであったように、精神的に”生きることをやめる”ことが、肉体的に”生きる”ことを守る唯一の手段にもなる環境。

幡男さんのように自我を持って生きることは、自分自身を更なる地獄に突き落とすようなもので、私には到底できないと思いますし、多くの方がそうなのかもしれません。

でも、だからこそ、ラーゲリの中で幡男さんは皆の希望だったのだろうと思います。

 

余命を伝えられた『相沢』が「それでも生きろ」と言った時、私には「どうか生きてくれ」と懇願しているように思えてなりませんでした。

それだけ幡男さんが、『相沢』にとって、皆にとって、”希望の光”であったこと、その光が目の前で失われそうになっていることに対する恐怖が感じられ、胸が締め付けられました。

 

それに対する、幡男さんの”死にたくない”という強い思い。

「絶望、しないわけないでしょう!」と言った時の、怒りと悲しみがないまぜになった、あの絞り出すような声と表情が、忘れられません。

 

どれだけ家族に会いたかったことでしょう。
一目で良い。一言でも言葉を交わしたかった。抱きしめたかった。

こんなささやかな願いも叶わぬ悔しさ。

 

「戦争って、ひどいもんですよね」

 

本当に本当に、この一言に尽きます。
戦争さえ無ければ、こんな理不尽に命が奪われることもなかった。

幡男さんの無念さが、悔しさが、痛いほど伝わって、たまらなく切なくなりました。

 

あの時代を生きてきた人たちは、今生きている私たちと何ら変わらない、同じ人間であること。この出来事が事実であること。今もなお同じような環境に置かれている方々がいること。そして、また私達もいつこの時代に逆戻りするかわからないということ…。

この映画を観て改めて実感したことを、この先もずっと心に留めておかなければならないと思いました。

 

幡男さんが遺書と同時に書いていた『未来のために』。これはもう読むことはできないけれど(ノベライズによると、これもロシア兵に没収されてしまったようなので)、幡男さんが子ども達に宛てた遺書の言葉たちは、未来に生きる私達に向けた言葉に思えてなりません。

 

幡男さんと、この遺書を届けてくれた仲間たちが、命がけで届けて下さったこの言葉達を噛みしめながら、”幸福に生きる”ということを、今一度考えてみたいと思いました。

 

そして、歴史について、もう一度学び直したいという思いも高まりました。

戦争のことや、日本という国の歴史について。

今回、この映画を観た若い世代にも、きっとこうした意識が高まった方々が多くいらっしゃるのではないかと思います。

そうした意識が広がることが、また新たな悲劇を生まないための希望になってくれることを、願ってやみません。

 

…なんだかここまで重たい感想ばかり語ってしまいましたが、『戦争映画』かと言われると、そうひとくくりにはできないように思います。

 

制作陣の方々のインタビューでもあったように、「これは普遍的な愛のテーマ」「人間賛歌の映画」というのが、とても腑に落ちます。

 

この映画から伝わってくるものは確かに”愛”でした。

幡男さんとモジミさんの夫婦愛、ラーゲリの仲間達の絆、幡男さんが子ども達という未来に向けて託した希望。

どれもが優しい愛に溢れていて、鑑賞の度にあたたかな感動で心が満たされていきました。

 

だからこそ、またこの”愛”に包まれたくて、再びこの映画に会いに行きたくなるのかもしれません。

 

3.キャスト陣のお芝居について

今回、この映画にここまで強く惹き込まれたのは、キャストの皆さんのお芝居が素晴らしかったからに他なりません。

主役の二宮くんをはじめ、主要キャストの方々から、ゲスト的に登場するベテラン俳優の皆さん、子役の皆さん、ラーゲリ内の抑留者役の皆さん、ロシア兵役の皆さん、そしてクロ。

お一人お一人が、全ての場面でリアルに生きてくださったからこそ、胸に大きく迫るものがありました。

 

全て挙げたらキリがないので、惜しい気持ちもありますが、主要キャストの皆さんの、特に印象に残ったところだけ、取り上げさせていただきたいと思います。

 

まずは、松坂桃李さん。
『松田研三』というキャラクターは、無意識に遠ざけていた”戦争”の世界に、容赦なく私を引きずり込んでくれました。
戦場で足をもつれさせながら逃げる様は、私たちと変わらぬ”ただの人間”であることを生々しく感じさせてくれ、遠巻きに「山本さん」を見つめる姿は、ほとんど表情は動いていないのに、「山本さん」への憧れと、それに比例して刺激される自己嫌悪や葛藤が感じとれて、どんどん感情移入させられました。
だからこそ、「卑怯者をやめる」決断をしてからの”色”を取り戻した姿に、強く心打たれました。
幡男さんのお母さんに遺書を読み上げる場面では、まるで松田の気持ちが直接心に流れ込んでくるようで、私も松田とともに涙が止まらなくなりました。

 

中島健人さんは、他の方も仰られているように、全く”ケンティー感=王子様感”が無くて驚きました。

純粋で、真っ直ぐで、あの劣悪な環境下で穢れない心を持った『新ちゃん』でした。

幡男さんが皆の希望の光であったなら、幡男さんにとってのラーゲリでの希望の光は新ちゃんだったのだろうと思います。

中島さんがインタビューで、他の仲間達と会話のリズムの違いを意識したと語っていましたが、それがまさに『新ちゃん』のキャラクターにピッタリで、とても愛らしく感じました。

あのはじけるような笑顔は観る側にとっても救いであり、希望の光でした。
あと、忘れちゃいけない脚の曲がり具合。演技とは思えないほどで、歩く姿が映るたびに感心してしまいました。

 

桐谷健太さんは、もともと目力の強さが印象的な俳優さんでしたが、今回は特にその目が不器用な『相沢』の心を代弁してくれているようでした。

松田同様に言葉少なくなってからも、その目が全ての感情や心の変化を伝えてくれました。
雪の中むせび泣く姿や、病床の「山本」に向けた眼差し、モジミに「よくやった!」と言葉をかけた時に見せた朗らかな笑顔は、忘れられません。

病床の「山本」に「それでも生きろ」と言った時の、励ましながらも縋るように訴えかける目には、強く強く心を揺さぶられました。

もしかしたら相沢は、人一倍純粋で臆病な人間だったのかもしれない…そんな風に思うくらい、桐谷さんが演じる相沢からは優しい人間性がにじみ出ていました。
桐谷さんが相沢を演じてくれたことで、私の中で新ちゃんとはまた違った形の”愛すべきキャラクター”となりました。

 

安田顕さんは、ロシア兵に立ち向かう場面も印象的なのですが、何と言っても登場時の絶望の真っただ中にいる姿が怖いくらい衝撃的でした。

そこから、野球のシーンでバットを握った時に笑顔を見せる瞬間だとか、”もういちど生きることに決めた”後の変化が絶妙で、やりすぎると観る側の心が映画から離れてしまいそうな難しい役どころだったと思うのですが、何の違和感も無く、見事に骨の髄まで映画の世界に惹き込んでくれました(原さんが笑顔を取り戻した時は、思わず心の中で「クララが立った!」と呟いてしまうくらい嬉しかった)。

原さんがもう一度心を開いた後も、ずっと自責の念を抱いていることが最後まで感じ取れる分、「山本くん」の家族に会いに行くシーンでは、玄関に立つ表情を見るだけで原さんの気持ちが手に取るように伝わって、胸が苦しくなりました。

最後の涙もこれまた良かった…。

 

北川景子さんは、凛とした佇まいと可愛らしさを併せ持った『モジミ』さんを、とても魅力的に表現してくれたおかげで、大好きなキャラクター(実在された方ですが、映画の中の登場人物としてこう言わせて下さい)になりました。

モジミさんが嬉しいとこちらも嬉しいし、モジミさんが悲しむとこちらも悲しい。

まるでファンでした。
庭での号泣シーンはもちろん、印象的なシーンは沢山ありますが、どうしても触れたいのは最後のシーン。

個人的に、死んだ人間が幻となって現れるという演出はちょっと苦手で、急に気持ちが冷めてしまうことがあり、内心ヒヤヒヤしていました。

でも、幻となった幡男さんを目にした時のモジミさんが、本当に本当に嬉しそうで、目にいっぱい涙を浮かべた笑顔があんまり美しくて、思いだすだけで涙がこみ上げてくるほど、胸に響くシーンとなりました。

 

そして、二宮和也さん。
もう、幡男さんの姿を思い出すだけで言葉に詰まってしまうのですが、まず二宮くんが『山本幡男』を普通の人間として演じてくれたことに感謝したいです。
ヒーローの様に演じられていたら、事実を基にしているといえど、どこか絵空事のように思えてしまっていたかもしれません。
優しいけれど、どこかちょっと浮いていて、強くもあれば弱くなる時もある。

普通の人間であるからこそ、幡男さんの強さ、優しさが真に伝わるものになったし、仲間達の心を強く動かす存在であったことに説得力を持たせてくれたように思います。
病床のシーンでは、その声・息遣い・瞼の動き…全てがショックでした。

特に”声”が発せられるたびに”死”の予感が大きく迫ってきて、恐怖を感じるほどでした。

相沢に怒りと悲しみをぶつけた時の声や表情からは、遣る瀬無い気持ちが突き刺さるように伝わってきて、たまらなくなりました。
そして、二宮くんが提案したという「戦争ってひどいもんですよね」の台詞。

この台詞があったからこそ、映画のテーマが心のより深いところまで突き刺さったように感じます。

どんな風に言うのかなと思っていましたが、あの表情や声とともに伝わってきたものがあまりに大きくて、思い出す度に新鮮な衝撃を受けます。
しかし、やはり遺書を読み上げる心の声はあたたかく、それでいて力強く、胸に染み入るようで、最期の最期まで幡男さんの姿を通して、この映画を優しく包み込んでくれたように思います。

 

今回、役者の皆さん全員、本当に素晴らしかったです。

ナレーションを務めた松坂桃李さんや遺書を読む二宮くんだけでなく、皆さん全員、声だけの演技もとても良かった…。

題材として「楽しむ」映画とは言いにくいですが、役者さん達のお芝居に関しては、心の底から楽しめる…というか、良質な演技を浴び続けて酔いしれるような感覚になりました。

 

4.終わりに

この映画を、こんな素晴らしい形に作り上げて下さった瀬々監督をはじめ、この映画に携わって下さった皆さん一人一人に感謝の気持ちでいっぱいです。

(ここまで触れられなかったけど、音楽もとても良かったです。サントラや『Soranji』聴くだけで、脳内で映画が蘇ってきます。)

取り留めもなく、ダラダラと書きなぐってしまいましたが、最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。

本当は、まだまだ語りたいことが沢山あるのですが、このへんにしておきますね(^^;)

 

この映画が、一人でも多くの方に届きますように。

 

 

はじめまして、”とことこ”です。

はじめまして。

”とことこ”と申します。

 

私はJr.時代からの二宮和也さんファンなのですが(”担”ってなんか恐れ多くて言えない…)、家族にも友達にもあまり大きな声で「二宮くんが大好き!」と言った事はなく、ひっそりこっそりお茶の間ファンを続けてきました。

 

もちろん、FCに入るなんてことも恥ずかしくて出来なくて(←実家住まいのため、FC会報が家のポストに届くというのが耐えられなかった)、コンサートに行ったこともありません。

 

しかし、嵐が活動休止することになり、テレビや雑誌など、近づく努力をせずとも与えられることだけに甘えてきて、今まで自ら距離を縮めようとしてこなかった自分をとても後悔しました。

 

恥じることなく、堂々と嵐や二宮くんが好きなことを公言し、もっと積極的にオタ活していれば良かった…!

FCにも入会して、小さなハコから大きなハコでLIVEするようになるまでの過程を、もっと近くで見てみたかった。

チケット争奪戦に参加して、ドキドキワクワクしてみたかった。

番協や舞台にも行ってみたかった。

何より、「これからもずっと、嵐が、二宮くんが大好きだ」という気持ちを届けたかった。

 

そんな思いが溢れて、活動休止の直前に、ついに嵐のFCに入会しました。

家族には「嵐は今までも好きではあったけど、活動休止することになって急に好き度が増した」とかなんとか言いながら(本当の熱量はそんなもんではない)。

 

「好き」を公言したら、なんと気持ちの良いことでしょう!

もう色々我慢しなくて良いのです。

「好き」という理由だけで、コソコソ見ていた雑誌だって映画だってテレビだって堂々と観れる気持ちよさ。

一体今まで何を勝手に我慢していたのか、馬鹿らしくなりました。

(でもやっぱり、1人の方が浸れますが…。)

 

それから嵐が活動休止に入り、心にぽっかり穴が開き始めた頃、二宮くんがYouTubeで『ジャにのちゃんねる』を開設してくれました。

 

それだけで衝撃的な出来事だったのに、週に1回の更新を宣言してくれ、概要欄も毎回ちゃんと書いてくれる上に、今まで見たことのないような舞台裏や素顔を見せてくれたりして、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

その後、更に週2回の更新になり、生配信やショート動画、コミュニティまで更新してくれたり、コメント欄をちゃんと読んでくれていることも感じさせてくれて…(これがいまだに無料で提供されていることが信じられない)。

 

二宮くん自ら、猛スピードでこちら側に近づいてきてくれる勢いに驚くと同時に、提供されるものの充実さに溺れかけていたところに、まさかのカバーアルバムリリースの発表と、お誕生日生配信のお知らせが届きました。

 

あまりの有難さに震えた挙句、「これは、こちらからもお礼をお伝えしなければ…!」と、変な衝動にかられ、ついに2022年6月にTwitterデビュー致しました。

 

届くかどうかは別として、ちゃんと声が届く可能性がある場所で、「ありがとう」を言いたかったんです。

 

でもそこからはもう、見事にTwitter廃人となり、皆さんの 二宮くんスキスキツイートを読んで私が勝手に満足してしまっている状態です(^^;)

 

ただ、あんまり気持ちが昂ると、滾った感情を全て吐き出したくなってしまい、とてもTwitterでは綴りきれないので、今回こうして存分に吐き出せる場所を作ることにしました。

 

ここまで読んでくださった方にはわかるかもしれませんが、私がここにお邪魔するときは、頭の中のこと全部吐き出そうとしてかなり長文になりがちです。

未熟な文章で読みにくい記事ばかりになってしまうかもしれませんが、ご容赦いただけたらと思います。

 

あと、時間の使い方が下手すぎて二宮くんを追うので精一杯なこともあり、嵐は5人全員大好きなのですが、基本二宮くんのことしか喋りません。

 

普段はツイッターランドにいるので、こちらの更新はきまぐれになると思いますが、これからよろしくお願い致します(*^^*)

 

 

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